奔車紀行

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地震 東京→横浜まで徒歩で帰宅 (東日本大震災)

昨日11日に東北関東で大きな地震が発生したが、都内で地震に遭遇した。記録に残しとく意味で、書いておく。

 

ちょっと特殊な事情もあるけど、感じた大きな点は以下の3つ。

 

・情報が少ない人への配慮が欲しい。さらには、絶対的な値での情報がある方が良い。

 

外出していたら、TVやラジオの情報を入手できない。今回は、さらに携帯なども利用不可だったので、情報の重要性を痛感。また絶対的な情報とは、地震だと震度とかマグニチュード津波なら高さなど。地震が起きましたとか、大きな地震が起きましたじゃ、対応の仕方が良くわからない。駅なんかでも、時々で良いので、それらの情報を述べるとか掲示があると良い。

 

・思った以上に、都内のビル周りで避難している人たちを見た。また、ヘルメット/緊急袋と一緒に帰宅する人も少なくなかった。道をマーカーで記入したコピーの地図を持っていたり、グループでの徒歩が少なくなく、日頃の訓練や教育などは重要と感じた。

 

・歩行による帰宅とかは、ある程度の多くの人や照明が非常に安心感につながる。トイレのことなど、TV等でのちょっとした呼びかけも役立った。

 

 

都内の会合のために、午後東京へ。会合そのものは18時半から、神谷町。今回の会合では短い時間のプレゼンを行う予定だったし会合準備のための人を募集していたので、早く行ってそれも手伝おうと思っていた。そして、寄ってみたいお店があったり、都内で本屋に行ったり散策してみようかと、正午前に出発した。

 

ただ、今思えば、ちょっと運の悪いことが発生。途中駅で下車して、数日前のTVで見たうどんのチェーン店に入った。今まで、1,2回しか降りたことない駅で、数分して探すことはできたが、、、。TVでは、カツ丼とのセットや餃子もあったので、それを食べようと自宅を出る時から心づもりしてた。ところが入ったら、立ち食いそば屋さんとあまり変わらない。小さなテーブル席で3席くらいはあったけど、他は立ち食い。しかも、カツ丼とかがない。結局玉子とご飯+うどん。えらく気落ち。ツキが良くないかな~と、若干不安に。

 

横浜経由で一旦東京駅へ。地下街を散策してたら、鹿児島の小さなアンテナショップ「かごしま さつまいもの館」を発見。買おうか悩んだものもあったけど、会合前とのことで、加治木まんじゅう2つにした。地下街の奥の方に座るところがあったはずと思って向かったけど、椅子の類は撤去されてた。仕方なく、立ったまま頬張った。

 

その後、八重洲ブックマークへ。地下街からの階段を、2段毎に上がりつつある時にグラグラ。最初は少し目眩かなと思った程度。地上に上がって、街灯などが揺れていてビックリ。上着を頭から被ろうとしたくらい。実際襟に手をやって頭半分くらいまで。上や周りを見る程度は出来たけど、歩けずに近くの街灯を掴むのがやっと。

 

その時は震度も判らないし会合のことも頭にあったので、揺れが少し落ち着いた時に八重洲ブックセンターへ。結構入り口に人がいて、エスカレータが停止してた。

 

f:id:honda-jimusyo:20110311145602j:plainエスカレータも動いてないし、時々揺れるので、少し周りを見てみた。左は、近くの様子をデジカメで撮影したもの。

 

ちらほらとヘルメットを被って避難している会社もあって、「教育がそれなりに行き届いているんだ~」くらいの気持ち。ただし、あくまで被害状況を知らなかったから。

 

会合はいざとなったらタクシーとか徒歩でも行けそうだし、ちょっと見たい本もあったので、ブックセンターが再開されるのを待つ格好。10分以上は待ったと思うけど、エスカレーターなどが再開。ただし、途中階(5階だったかな)以上は、営業そのものを止めたようだった。自分の行ったフロアには、お客さんは数人。時々店員さんが状況把握に回ったり、トイレで被災してないか確認しに行ったり、、、。

 

探してる本がなかなか見つからない。うろうろ探していたら、時々余震。本棚から離れて、大きな柱の近くに寄ったけど、上にTVモニターがあって、別の柱脇に。余震は何度かあって、柱を支えに利用することも。少し揺れが大きいと、店員さんが棚から離れてくださいなどを言っていた。

 

本を探そうにも、検索端末はエラーのような画面を表示したままだった。店員さん用も停止していると。さすがに長居するのもと思って、店員さんに聞いて規格関連のコーナーに行ったら本が見つかった。ぱらぱらと見て、それなりの内容だったので購入した。既に店内アナウンスなどもあったけど、非常階段を使って1階まで。

 

まだ時間もあるし、どうしようかと思って携帯を取り出すけど、圏外表示だった。(当時はアクセスできない旨の表示だったかもしれない。いずれにしろ、最終的に圏外表示に。また電池残量が少なく、途中から赤表示。時々電源オフすることにした。ワンセグ放送受信で状況把握できたのかもしれないが、電池残量が気になって受信してみるという発想にならなかった。)

 

神谷町に行くにしても会合時間には早すぎるな~と、地下鉄の丸ノ内線大手町駅方向へ。JRの改札近くなどで、電車が止まっていると聞いたり目にした。最初はJRの特定線路だけと思ったら全部だし、地下鉄や私鉄もとのこと。さすがに、ちょっと驚いた。(八重洲の地下街が普段と大きく異なっていないように感じたので、不通と聞いて驚きになった。また、しばらくしたら復旧するんじゃないかとの思いにもなっていた。)

 

丸ノ内線の改札近くで、ちょっと待ってみようと待機。不安感もなく、当初は、小さい子に付き添うように相手をしてた駅職員さんとかを見ながら、駅員さんも大変だな~程度の感想。丸ノ内線が止まったままで日比谷線が動くなら、近くの駅までは歩こうかなとか、JRだけが動き出したらそちらに行こうかなとか考える程度。そのために、路線図もデフォルメしてない方も探して色々考えを巡らした。

 

何度も復旧の見込みが立たないとアナウンスされたり、シーツを用意してその上で休んでも良いですよと駅員さんが走り回るようになった。会合に向けて万一歩いて行くにしても、まだ時間あったので、一度地上に出てみることにした。

 

良くわからない場所だったけど、エスカレーターで上に向かったらビルの1F。丸ビルだったのかもしれない。しかもTVが置いてあって、津波の様子を何度も映してた。マグニチュードはそこで聞いたように思うけど、東京の震度とか肝心の鉄道の復旧見込みの話が出なかった。というか、そこまでは凝視してなかったし、当時は電車の復旧の見込みは不明とのアナウンスだったろう。(ビルの1階は大勢の人だったが、車も普通に動いてるように見えたし、何か落下物があるわけでもないので、都内の被害は少ないと感じてしまった。電車のことは知ってても、念のための確認をしている程度の感覚がまだあった。)

 

TVでは、無理に帰宅するのは良くないとの話もあった。ただ、会社勤務でビルとかにいたら泊まることも考えられるけど、外出を含めてそうでないと真っ先に浮かぶのは帰宅だろう。なお、帰ったからのTVでは、民間の施設も含めて休憩所の提供などもあったようで、これほどの被害だと今後検討されるのかもしれない。

 

時間も経過してきたので、奮発してタクシーかなと思って外に出たら、長~い行列。車はそれなりに動いているけど、タクシーが来ない。腹をくくって、歩いて行くことにした。ポケット版の地図をバッグに入れとくのを忘れていたけど、東京タワーを目指せばいいので気分的には楽。皇居のように広場のようなところだと見えるし、ビルの合間から見えることも少なくない。皇居辺りで人的ロックオンしとけば、日も差してるので行けるだろうと。

 

歩き出したら、南の方に向かう人が少なくない。時々ヘルメットを被っている人も。さらには非常袋を背負った人もいた。ヘルメット被っている人の中では、男性との対比で女性の方が6,7割。ちゃんと紐もしてて、教育が行き届いてるよな~とか、つい思ってしまった。見るからに会社に置きっぱなしの運動靴での徒歩女性も、時々目にした。

 

愛宕山の辺りで道が良くわからなくなったが、少し歩けば東京タワーが見えたので、そちらの方へ。しばらくしたら見慣れた通りに出たので、目的とするビルに到着した。ビルに行く前に時間があったのと、多少徒歩帰宅を考えてコンビニに入った、その頃には食べ物も多少あった事と、会合前に荷物になるのも嫌だったので、買わなかった。しかも今回はバッグと手荷物があって、さらに増えるのも嫌だったのも理由。会社宿泊を考えての買い出しかと思われる人たちも。ただ普段でも夕方に買う人は少なくないので、実際に宿泊のためなのかは??

 

会合のビルに入ったら、エレベーターが動いていない。どこが階段かなと思ったら、すぐに発見。5階まで歩いた。会合の会議室に行ったら、既に一人到着してた。会議室にはTVもあって見ることができた。なお、会議のために別のビルで預かるものがあり、そのためにそちらへ。そのビルもエレベーターが止まってて、今度は8階まで歩き。多少、会合中止かなと思いながらも、準備はしておこうとした。会合の会議室で、PC起動してイーモバイル接続。でも後者の調子が良くなくて、つながらない。

 

そこでも携帯電話は圏外。ふと、フロアに固定電話があるのを思いだして、自宅に電話することにした。変な話だけど、並んでの電話と違って気は楽。ただし固定電話でも、1回目はつながらなかった。回線混雑の旨。もう1度かけたらつながって、留守電に入れた。自分でもどうするか決めてない/決められないので、「都内でホテルにするか思案中。生きてはいる。」みたいなことを述べた。連絡くれと言ってもこちらの携帯電話が圏外なら意味がないし、細かいこと言っても無駄に思えたため短めに連絡。

 

別の人と、まだ電車が停止しているので中止にしようかとも言いながら、開始予定時間までは待ってみることにした。別の会合予定チームは、さっさと中止を決定して、案内板に中止の旨を掲示してた。結局開始予定を15分くらい過ぎて、中止だろうと相談して、その旨を掲示。別の人は少し作業するとのことだったので、自分だけ帰宅することにした。中止となると、帰宅するなら早めがよいと考えたためだ。 ちなみに後で判ったが、交通機関の停止により今回の会合の中止は、ネット上では確定してたようだ。ただ、こちらがアクセスできなかったので、現場で待ったことになる。

 

「とりあえず帰宅!」と、気分切り替えて大通りへ。五反田や品川を目指した。会議室脇の地図で品川への短いルートもありそうだったけど、大きな通りにした。道に迷って時間が経過する方が怖いと考えたため。今思えば、慶応大学の少し先で曲がらずにそのまま進めば、国道15号線にすぐに行けたはず。(恥ずかしながら箱根駅伝での道に馴染みがあっても、それが国道15号線だとかの意識が無かった。また曲がる人が多くてそちらについて行った格好。今思えば、五反田とか目黒、目蒲線沿線などの方に帰宅する人たちが多かったのだろう。)

 

結局国道1号線を五反田まで。そこから品川に向かおうとして、近道っぽいところを歩いた。でも知った道じゃないと判明して、引き返したりした。五反田-品川の大きな通りに出たときは、少しほっと安心した。ちなみに、五反田→品川方向に歩く人の割合は、五反田方向に対して1割もいなかったと思う。大勢との反対方向に歩いたのは、この区間程度、結構神経使うんだな~と実感した。御殿山界隈が様変わりしてたが、暗いしまだ入居は始まってないようで細部は良くわからなかった。

 

新八ツ山橋(国道15号線)に出たら、気分的に一山越えた感じ。ここからなら、横浜駅近くまでは知った道。箱根駅伝を真似て一度大手町から走った道だし、箱根駅伝での映像でも何度か見ている。また、工場見学などで何度か部分的に通った所もある。少し一休みしようかとも思ったけど、疲れもさほどじゃないし休めそうな所が近くにないので、歩き出すことにした。

 

当初はタクシーに乗る事を考えたり、箱根駅伝を真似て走ったときも大抵そうだったので、左の道を歩くことが多かった。多分平均的にも、左側の方が歩道幅は広いし歩きやすいように思う。なお、タクシーは捕まらないし、特定の自動車を覚えて歩行とどちらが速いか気にかけたけど、歩きの方が速い。時々自動車が動き出すことあっても、すぐに停止する格好だった。ただし、車のクラクションが皆無で、そちらも精神的には楽だった。

 

途中、平和島の近くで、牛丼やに。「すき家」。満席に近くて、ご飯炊くのに時間がかかると言われた。セットにしようかとかカレーを含めようかと悩んだけど、結局大盛り+玉子。これから結構歩くし胸焼けしそうなのも困るので、慣れたのにした。また、近くのコンビニ(セブンイレブン)で、クッキータイプの補助食や梅系のスナックとか水を購入した。どんぶり食べたし、荷物もあったので軽めにした。水も小さなボトルにした。いざとなったらコンビニとか自販機が利用できそうだったので。

 

f:id:honda-jimusyo:20110311230454j:plain写真は、多摩川の橋の上。人の少ないところ選んだことと、写真撮ると判ってちょっと離れた人もいたので、前の人たちと空いているように見える。しかし、そこそこ混雑していた。

 

ちなみに、橋に登る際に結構狭い階段があった。以前も利用したはずだけど、あまり記憶にない。急に混んできたので、なんだろうと思ってしまった。川崎側は緩いスロープになっているので、東京側も工夫したらと思うけど道路や民家で無理なのかもしれない。(ただ関東での大きな地震のことを考えると、この箇所は大きなウィークポイントになるように思う。)

 

また、羽田の方が明るくて地震での後片付けかなとか思ったが、帰ってから思うに、多分千葉側のコンビナート爆発の炎だったのだろう。

 

 

徒歩で感じたのは以下。

 

・人が多いとか明るいのは、非常に安心感につながる。しかもヘルメット被っていたり非常袋持参の人がいて、そんな人たちの中にいること自体が安心感に。気分的には、ハイキングに近いと言っても良いかも/そう思うことにした。天気も幸いした。

 

歩きのスピードも、皆さんほとんど同じ。時々遅い人/人達や速い人/人達はいるものの、山登りなどとあまり変わらないな~といった感想。上で”ハイキング”と書いたけど、歩キングや山ガールなどによる山登りのちょっとしたブームなども影響してるのかなと考えた。

 

・知った道というのは大きな安心感。暗くなって知らない道を歩くのは、非常に不安だと実感した。

 

・人の流れにもよるが、同じ方向への人が多いのなら、左の方が多少歩きやすい感じ。右だと車のライトが明るすぎる。もちろん普段は歩行者は右側通行だし、車がほとんど止まっている状況や歩道分離している前提での話。

 

右を歩いてて、非常に嫌だったのは、右側通行の自転車。急に歩道に来るとか、歩道内でスピード出してる。しかも無灯火が多い。向こうから来る車やバイクにとっても迷惑というか、そもそもそれらの自転車は交通違反。普段でも時々見かけるけど、災害時の右側通行自転車は凶器になるとすら感じた。自転車購入時に、法律知ってるかの確認とか講習するとか紙切れ渡す位して欲しいくらいだ。

 

・トイレなど、TVの呼びかけを意識した活動には感謝。コンビニ以外にガソリンスタンド、自動車販売店、学校、宗教法人などに「トイレどうぞ」の掲示などがあった。学校の近くでは交通整理している生徒風の人を見たりした。ただし、鶴見から先は工業地帯ということもあって、それらは結構減ってきたが。

 

・少し驚いたのは、自転車屋さんとか特売ショップでの靴販売に人が多かったこと。前者はどうもパンク修理とかじゃなくて、自転車そのものを購入する人だったようだ。靴販売の所では、急に新しい靴を履くことでのマメの発生とか気にならないのだろかと思ったりした。(でも、それは自分が履きやすい靴だったから。自分でも、革靴で何キロも歩いたらどうしても買いたくなるだろうなとは思ってしまった。早めにマメ予防とか応急処置できるようなものを買っとくということも必要かも。)

 

・携帯が通じなくて困惑。(概述) ただし、回りに時々ネットでの情報を言う人などもいて、大きな通りでは情報がないような不安感にまでは至らなかった。自宅への連絡とか自分固有の情報へのアクセスができない点は諦めたけど。

 

ちなみに、生麦の前後だったと思うけど、1カ所コンビニ前で携帯電話の充電サービスをやってる人たちがいた。サービスというか、普段持ってるものを持ち寄ったような雰囲気。そこでは、ワンセグと思うけどTV映像なども流してた。

 

・普段でも、少し暖かめにしとくとか、バッグにちょっと羽織るものを用意するのは良いのかも。自分自身としては、結構寒さ対策の服装だったのは良かった。上はレザータイプのジャケットだったけど、チョッキを中に着込んでいた。その日は傘以外に、耳当てと手袋はバッグに入れていた。徒歩の際には、耳当てをほとんどして、かえって暖かくて少しはね上げて風を通すことも。手袋や傘は利用しなかったけど、安心感になった。

 

・お薬も、できれば普段でもバッグなどに。今回で普段持ち歩く薬類の中では、牛丼の後に下痢止めを飲んだ程度。他も含めてちょっとした薬をバッグとかに入れてたのは、安心感につながった。

 

 

普段でも膝は痛いが、今回も時々。靴は、布張りの靴だったこともあって、足や膝への負担は少なかった。ただし、休んでから立ち上がろうとすると、結構膝に痛みが来た。川崎を過ぎた辺りで、一度休憩。水分補給と補助食を食べた。丁度バス停の椅子があったので利用させてもらった。横浜までで休憩したのは、トイレ以外はここだけ。あとは、道の脇で膝の屈伸をちょっと行った程度。

 

ビジネスホテルとかカプセルホテルのカンバンも目にした。見慣れたチェーンホテルも見かけた。見た限り出入りする人もいたので、もうちょっと横浜の方まで歩いてみようかという気になって歩き続けることが多かった。よく考えると、出入りしてても事前に予約とかしててたのだろうと。予約しようにも携帯が通じないし、電話番号判らない、、、。よほど疲れたら、ホテルに飛び込んでみるかとの思いになっていった。(結局ホテルは利用せずだったけど。)

 

鶴見では、箱根駅伝での鶴見中継場の像(たすきをつなぐ像)を見て、駅伝を真似て走った頃などを思い出した。なお、鶴見を過ぎる頃から、若干道幅が狭くなった。歩道もそこそこ起伏ができてて歩きにくい。休憩しようか悩んだけど、良い案配の腰掛ける所がなかった。疲れてるわけでもなかったので、なるべく良い条件の所をと思ったせいか、なかなか無い。冷たいところだと、体を痛めるというか膝や太股に来る可能性があり、避けたかったし。

 

生麦辺りのコンビニ前で、人だかりができており携帯充電などを行っていた。(既述) 見たら2階のトイレが使えそうなので、そちらを利用させてもらった。少し階段がきつかったけど、逆に人が少なくて個人的には良かった。

 

疲れが出始めたが、ビルの光景などで横浜駅に近づくのが実感でき、気分は楽に。そのまま横浜から自宅まで歩くのはきついかなと思ったり、横浜駅から知った道までを良く覚えて無くて思い出そうとしたりした。ちなみに、昔に(現在の)みなとみらい地区から自宅まで走ったことがあったり、1度だけ横浜駅から徒歩で帰った時があったので、どうにか歩ける気はしていた。ただし、今回は疲れと筋肉痛の前触れが気がかりになってきていた。

 

横浜駅に近づくと、横浜市営バスだったと思うが、生麦行きのバスを数台見かけた。乗客も乗っているような感じ。バス会社によるだろうけど、最終だと行き先表示に判るような色がつくが、それはない。地震で深夜運行してそうに思えた。

 

となると、深夜2時近くだったが、相鉄が動いているかもしれないと思えてきた。そして少し早歩きになった。横浜東口のJR通路がふさがっていて、少し先の自由通路側に向かう時も急いだ。タクシー乗り場には行かず、まずは相鉄の改札の方へ。すると電車の行き先掲示があり、電車も車内灯をともして停車していた。結局座れて、10分ほどしたら発車した。あの疲れた状況で、電車で座って帰れるのと歩きでとは、雲泥の差だ。結構ありがたかった。つい、改札口で駅員さんにありがとうの旨を言っちゃった。

 

駅では、タクシーはいず。ただし、少し歩いたら膝も痛み出して駅に引き返した。30秒くらいでタクシーが来た。その運転手自身、電車が動いてることを知らなかったみたい。

 

全体でどれくらいの距離を歩いたのか、万歩計などで計測してないし、携帯も時々電源Offしたので歩数も不明。おおざっぱで、40Kmとかじゃないだろうか。ジョグノートの方には、その数値にした。

 

 

自宅に帰り着いたら、少し頭が冴えた状態だったので、PCからmixiやMLなど知り合いにメール。携帯はその時も圏外表示で、おかしいなと思いながらも具体的には調べず。少しTVを見たりして3時を少し過ぎたら、バイクの音。朝刊が到着。普段よりも少し早かったが、新聞の1面が地震で、しかもカラー。ちらっと見た後は、疲れも出てきて床に入った。

 

起きた後は、TVを見たり、新聞を見たりした。改めて凄まじい津波に驚いた。自分自身は筋肉痛が起き、午後から少しずつじんわりと痛くなった。足よりも肩。バッグとちょっとした荷物があり、両手がふさがっていたからだろう。

 

そして、携帯の方は充電したけど、自宅の午後近くでも圏外。さすがにおかしいと思って設定などを確認したら、省電力のためのネットワーク検索方法が関係している気がしてきた。マニュアルでの検索を行ったら、携帯のネット接続が回復した。普段だと、時々ネットワーク検索のエラーは出るけど再接続できるので、その設定が関係してるとは思いもしなかった。普通は電源On時にネットワークが見つかり途中でネットワークが見つからないとエラーを出すが、今回は電源Onの時にネットワークが見つからないケースが継続したようだ。

 

またイーモバイルは、別PCも含めて何度かつなげてみようとしたけどエラー。午後になってやっとネット接続できた。しばらく使ってなかったから充電とかも関係したのかもしれないけど、こちらは本当にネット自体が混雑していたのかもしれない。

 

 

自分にとってはある意味では良い経験になったけど、被災された方々を思うと胸が痛む。

 

 

追記:今回の地震は、気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と命名。震災に関しては、「東北関東大震災」や「東日本大震災」と呼ばれているようだ。(タイトルもそれが分かるように変更)

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