同窓会などの関係で、故郷の鹿児島へ。明日が同窓会で、今日は開聞岳。当初は同窓会オプショナルツアーとして参加を募集、多くは集まらず高校時代の先生と同窓生2人との計4人だったけど、昨日の夜からの雷雨で結局同窓生のうち一人との登山になった。
天気予報では、午後から天気が良くなるとわかってはいたが、待ち合わせ場所に同窓生の車が来た時も雷雨。車の中で他の二人は不参加、「午後の天気を考えたら、これくらいなら行こう」とか「屋久島だと、これくらいは普通」と言われて出発。ちなみに同窓生は、半年くらい前に屋久島登山。
開聞岳に向かう途中で、雷が気になってラジオをつけることにした。なかなかガガガと鳴らないので、「FMじゃないよね」と確認したり、しばらくして「もう大丈夫かな」と言ってる最中にガガガー。雨も強くなって、開聞岳麓の公園で車の中で待機。少し明るくなったりしたので、おにぎりなどのために駅近くのコンビニなどに寄って準備。再度麓の公園に戻り、登山スタート。登山届け(開聞岳は、名前と登山開始と下山時刻を記帳するタイプ)を出して、登山道の方へ。
自分のウェアは普段のトレラン姿。タンクトップ+長めスパッツ。なお、濡れや草を意識して、レッグウォーマーは用意した。今回はリュックでなく大きめのポシェット。水は500ml*2。後はおにぎり2つとキャラメル類。
公園では、何かのイベントに向けてその準備中。
雨のせいで、少し岩場が滑りやすい程度。手摺り階段やロープの箇所もあったけど、危険と言える箇所は無かった。 意外というと変だけど、救助用のポイントの明示があった。ヘリを利用しての救助はこの辺りというわけだ。
時々雲が切れて遠くの風景も。写真は、近くの瀬平公園(せびらこうえん)のあたり。
頂上の様子。
頂上での道標は、標高924mなのに石碑は922mになってる。基準点の高さと頂上の高さなのかも、ということになった。
頂上では、同じくらいのスピードで登山した人と会話。登山中に関東からの出張中の登山と聞いていたので、他にどんなところを登ったとか、、、、。剣岳とか御嶽山とか結構高い山を登ったとのこと。他の数人のメンバーは屋久島登山の後に、ここ開聞岳へ登頂したそうだ。 頂上で昼食。少し晴れ間が広がるかと待ったけど、なかなか。食べ終わってしばらくしたら、下山することにした。
下山中に撮影した登山道の様子。後述する小学校の遠足で、こんな光景は記憶に残っていた。
左の写真での右側が長崎鼻、左側が竹山(スヌーピー山)。右の写真の湖が池田湖。
下山しての公園からの開聞岳。 登山中は、今回の同窓会で幹事として他のメンバー含めて色々準備したので、その反省を忌憚なく。また、中学とか高校の時や同窓生の話題。
開聞岳は、同じ鹿児島の小学校での5年生で登った。当時、苦しかったとの印象が残ってない。今回は雨で濡れてたせいもあるけど、それなりにきつかった。小学生の頃の方が、岩や階段もあっても、足腰が柔軟だったんだろうな~との話になった。あるいは、きついのは足の長さが当時から変わってない、あるいは短くなったからだろうと、二人で笑いながら登った。
また、小学校の学年遠足なら、あの頂上に70人近く登った(はず)。自分の記憶じゃ、淡々と頂上に行き、有志だけで登ったように思ってた。落伍者というか怖じ気づいた人がいたような記憶もなく、70人近くの皆はタフだったんだな~と感じた。 逆に、今は同窓生に呼びかけても尻込みに近い感じ。今も小学校で登るんだろうか気になったが、小さいうちに遠足でも達成感あるのを体験するのは良いことだとふと考えた。
登山の後は温泉。山川ヘルシーランドの露天風呂へ。今回も男湯は、開聞岳から遠い方の湯船だった。前回来た時もそうで、ちょっと残念。 露天風呂の掲示が、以前は写真撮影禁止だったと思うけど、今回は他の人が写らないように注意してくださいの旨に。
また、種子島や屋久島が見えたと思ったけど、地図から察するに種子島は大隅半島と重なるようだ。屋久島は間違いないと思うので、機会があったらどんな島が見えるはずか調べてみるつもり。
その後簡単に食事しようと思ったけど、なかなかお店が見つからない。池田湖の方に行ってもレストランが閉まっていたり昼休みになっていたり。結局簡単なうどんや焼きそばとビール(とノンアルコールビール)。
そのあと、今回登山しなかった同窓生を誘って飲み会しようということになり、鹿児島市内近くに住んでる彼をピッキングしてつまみやアルコール買って、、、、。
なかなか面白い一日だった。 沿面距離は8.7Km。コースタイムは以下。
8:40 登山口
10:58-11:40 開聞岳山頂
13:32 登山口
追記:同窓生と開聞岳の話をしたら、「***ちゃんが○○○ちゃんを負ぶったんじゃなかったっけ?」とかが話に出た。的確に覚えてはいないようだが、小さい子なりに対応したんだろう。小さい子と言うのが、自分たちだったわけだけど。 ⇒おぶってもらった本人に確認できて、そうだったとのこと。
追記:標高の変更は、ウィキペディアの開聞岳の所にも出てた。 ただし、それよりも、以下のサイトでの特攻(戦時中近くの知覧を飛び立った若者たち)との関連の方が、興味を覚えた。 山どんの資料室「開聞岳」 http://yamadon.net/yama1000.php?f=1541&s=131