同窓生と話題に話題になるものに、遠足とか修学旅行とかがある。自分は鹿児島県の出身で、小学校5年生の時に開聞岳、6年生で霧島山(高千穂峰と大浪池)、中学3年生では九州半周の修学旅行で阿蘇山に登っている。ある意味、大昔に日本百名山の3つを制覇している。ただし、「日本百名山」は1964年7月の発刊だが、当時はその意識はなかったと思う。引率する先生側でも「日本百名山」のことを知った人がいたかどうかは??
小学校4年生の時にも、結構な距離の遠足をしたようだ。自分は自転車で回ったかと思っていたが、どうやら徒歩。自転車のは中学の別の遠足か行事だったようだ。いずれにしろ、小学校の時に、それなりの体力向上を意図してのことなのだろう。なお同じ高校の同窓生でも、小学校や中学校が違うと、そもそも開聞岳にも登らなかったように言っていたので、行事は学校でこれらの行事は大きく違っていたようだ。
さらに言えば、現職の先生に聞いてみたら、自分の出身地でも遠足で山には登らなくなったようだ。色々事情もあるだろうけど、「そりゃ体力向上しないよな~」と言ってしまった。体力向上もだけど、チャレンジというか達成感みたいなのが皆無になってる。
同窓生との語らいでは、記憶違いとか色々あるけど、、、、。阿蘇山については、登ってない(だろう)という人がいた。結構成績優秀な人。で、こちらは火口を背にした写真が残ってたので、添付で送った。その人いわく、「あっケーブルを使ったんだ~」と。写真の我々が制服姿。実は、自分は写真が制服姿なのをそれまで別段気にしなかったが、登山なら体操着や軽めの服装のはずというわけだ。
実は自分も阿蘇山の登山については、余り記憶がなかった。開聞岳や霧島山の方は、断片的な事を覚えてる。開聞岳のは写真が残ってないけど、高千穂峰と大浪池は写真もある。写真での登山での格好は、長袖は着てて、ほぼ体操着。(なぜか大浪池や旅館の写真がみなゲラゲラ笑ってる写真もあって、今思えばなんでか? また、ほんとに馬鹿みたいに笑ってる。)
開聞岳や霧島山(大浪池)での断片的な記憶は、開聞岳でのなんかごつごつした岩や、霧島山は上るけどガレ場ですぐに下ってしまうこと。右の方に火口が見えて、全然問題はないのにアリ地獄みたいに感じた事など。大浪池では、まだ~と思ったら急に上りが緩やかになると共に展望が開けて、真っ青な湖が飛び込んできた事だ。ただし、天逆鉾(あめのさかほこ)見たはずなのに、記憶に残ってない。
逆に阿蘇山は、登山という意味での記憶が皆無だ。バスから見た馬や連山の様子を何気に記憶してるのに、、。しかも上で述べたように、知り合いは阿蘇山には登ってないだろうと言う始末。「あっケーブルを使ったんだ~」と言われて気づいたけど、理由は自分の足で登ってないからだろう。苦労して登った時の記憶が断片にあって、写真が残ってると確信というか記憶が固定されていくみたいなイメージ。それに対して阿蘇山は、ケーブルカーでスススイの上って、少し見学して、ケーブルカーで下った。なので、(写真がなければ)記憶がほとんどない。
自分の足で歩くのが大事なんだな~と痛感した。また、色々課題などもあるだろうけど、学校行事での登山とかを検討しないとますます引きこもり的な子が増えていくように感じるんだがどうなんだろう。